平成プロレスのルーツ・起源は相撲道&エジプトにあり!日本マット界に学ぶ人類学とは?
プロレスとは?…君はこの質問にどう答えるか?
プロレス。
プロレスリング。
この言葉を聞いて湯水のように話が出てくる人は今の日本にそういないでしょう。
私が子供の頃は、ゴールデンタイムにプロレス中継をやってました。少し大きくなると、夕方に、高校生くらいになると深夜に放送してました。
今では、地上波で少年、あるいは男達がプロレスを毎週存分に楽しめるプログラムがないですよね。
なので、今の時代にプロレスとは何なのか、を問うとちょっとよろしくない返答がたくさん返ってくるんじゃないかな、と危惧しております。
総合格闘技が全盛の時代でもありますから、プロレスなんていうと、あれはショーでしょ?八百長でしょ?野蛮なパフォーマンスだよね、みたいな。
しかし、プロレスのルーツ、とりわけ平成プロレスを構成した起源を追ってみると、なかなかに奥深いものを感じていただけるはずです。
力道山の息吹が未だに生きる日本のマット界
日本のプロレスの父は、力道山です。力道山は元力士。つまり、相撲の世界から受け継いだイマジネーションがまず日本のプロレスにはあるんです。
例えば、道場での練習。
私たちが日常的に使う言葉で、トレーニング、練習、稽古、というものがあります。
トレーニングは、体力の強化です。パワー、スピード、持久力とか。
練習は、反復という意味合いで使われます。これは技術の習得ですね。
そして、稽古。稽古は、様式、作法、形式なんです。
つまり、力道山が作ったプロレスのシステムは相撲道で採用されているこの3つを取り入れているんですね。上位のレスラーと戦う時はこうしなきゃいけない、とか。外国のレスラーだと、こうしないと失礼になるよ、とか。
そういうことを道場の練習でみっちりやってから、リングに上がれるわけです。アメリカのマット界とは、ここが違う。相撲の影響です。
思うに、日本のプロレスラーは、デビューした時点である程度完成された人間なんじゃないかな、と。
いかに個性を出し、個性を抑えるか。この妙味を出すには、人間的に優れていないといけないわけです。
昨今の角界はいろいろと揺れ動いてますが、意外に、平成プロレスの現場が古きよき相撲道を受け継いでいるかもしれませんね。
『受け』の凄さは太古の壁画からやってきた!?
次に、プロレスの機能的な側面についても述べておきます。
プロレスと他の格闘技の違いは、
技をしっかりと受け止める
という部分にあります。普通のスポーツ選手(柔道とかボクシングを含む)だったら、ブレーンバスターやパワーボム、DDTなんて食らったら即日入院ですよ!
プロレスラーは、技を受けても倒れない強靭さを持っています。
プロレスラーは、アマチュアとは歴然とした開きがないといけない、という強い理念が力道山の時代から続いています。
発祥の歴史を紐解くと、エジプトのベニハッサンにある豪族たちの墓の壁画にあるレスリングの技は、ほとんどプロレスの技みたいになってるんですよ。
つまり、受けと取りがハッキリ分かれていて、相手の協力がないと掛けられない技だってある。
強さを競うというよりは、人間の持つ身体能力への限界に挑戦するという感じなんじゃないでしょうか。それを昔の人はやったわけです。
それを一般人が見て凄い!と思ったのだろうし、だから式典で王様の前でもそれを演じたわけです。これが、今のプロレスに繋がっているということでしょう。
これって、物凄い誇り高い系譜だと思うんですよね。今の若い人は、ここまで考えてプロレスを見ていない。それが悔しい。。
もっと大きいことをいうと、個性を尊重し、多様性を許容する時代になれたのも、プロレスのイマジネーションが日本人にあるからだと思うんです。
ロマンある話しをしてしまいましたねえ(自画自賛)。